【出品者のコメント】
パネル①枚目:後半35分、究極の必殺技(直勝負:SOから第1CTBを飛ばして第2CTBがカットイン)で同志社対面の福井君を抜いた瞬間のパネルです。
パネル②枚目:大学2年の時の伝統の定期戦で、トライした瞬間のパネルです。この頃が、ラグビー人生で最高のパフォーマンスだった(この年の最後の日大との交流試合で左膝じん帯断裂)と思います。
ジャージ:言わずと知れた黒黄ジャージです。今回、これはまずいかな?と考えましたが、多くの方々が一生懸命、コロナ禍でのヒーローズカップ開催にご尽力されている中、精一杯のご協力をしたいと思いますのでこの最も大切なジャージを出品させていただきます。
パネル③枚目:山中湖で無茶苦茶ハードな合宿をこなしてからの菅平遠征、たぶん引き分けか辛勝くらいだったような記憶があります。隣に写っているのは明治のフランカー広瀬君です。
パネル④枚目:大学2年の時の自陣でのステップ。タックルに入っておられるのが現実行委員長の益子先輩。後ろには市瀬現黒黄会理事長と吉野さんが写っています。
パネル⑤枚目:大学2年生の時の1コマ。同期3羽ガラスと言われた浅田、市瀬と上野先輩との4ショットです。
パネル⑥枚目:無茶苦茶厳しい最後の山中湖合宿を乗り切った安堵感一杯の集合写真です。皆、いい顔しています。
パネル⑦枚目:久野部長、上田監督、浜本主将、私は副将として参加させていただきました。単独チームとしては初めてオックスフォード大学に勝利したことが良かったです。当日は、前皇太子殿下、現天皇陛下が応援してくださっていました。レセプションで握手させていただきましたことは一生の思い出です。
<経歴>
NPO法人ヒーローズの副会長で、第10回、11回のヒーローズカップ実行委員長を務めた。大阪の天王寺高校から京都大学の受験に合格しながら、慶応のタイガージャージーを着るために慶応義塾大学へ入学、ラグビー部のキャプテン、卒業してからは監督にも就任した、慶応では伝説の人。慶応4年時の同志社大学との大学選手権決勝の試合は、今も語り継がれる「幻のスローフォワード」の判定で平尾誠二率いる同志社大学が三連覇が決まった。その瞬間のパネルや、本人には大事であろう出品物が、ヒーローズカップ愛を物語る。