HVALA SVABO!!

  • オシム氏の軌跡
  • 1941年、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボにて生まれたオシム氏。FKジェレズニチャル・サラエボにてプロサッカー選手としてのキャリアをスタートし、フランスのクラブや旧ユーゴスラビア代表の選手として活躍した後、1978年に現役引退。
  • 現役引退後は古巣ジェレズニチャルで指導者のキャリアをスタート。1986年には旧ユーゴスラビア代表監督に就任し、1990年のワールドカップイタリア大会で自国をベスト8に導き、オーストリアのSKシュトゥルム・グラーツの監督時代は、9年間でリーグ優勝2回、カップ戦優勝3回、スーパーカップ優勝3回など輝かしい成績を残しました。
  • 2003年にはジェフユナイテッド市原の監督に就任。就任1年目から年間総合3位、そして3年目にはクラブ史上初のタイトルとなる「2005Jリーグヤマザキナビスコカップ」優勝を果たすなど、ジェフの躍進に大きく貢献しました。
  • その手腕が評価され、2006年には日本代表監督に就任。2007年11月に病に倒れ志半ばで退任するまで、日本に「考えながら走る」「ポリバレント」を定着させ、日本サッカーの発展に大きく貢献しました。
  • 日本サッカー界に多くのものをもたらしたオシム氏は、2022年5月1日、オーストリアの自宅で逝去、80年の生涯を閉じました。


  • 日本サッカー界に遺したオシム氏の功績
  • 独特の練習方法により 常に考えながらプレーすることを強いたサッカースタイルは、日本サッカー界に大きな革命をもたらしました。オシム流の練習で「考えて走るサッカー」を鍛え上げ、そのスタイルはジェフや日本代表の代名詞となりました。
  • また、オシム氏の人としての「厳しさ、優しさ、懐の深さ」が詰まった「オシム語録」と呼ばれるサッカーへの鋭い洞察を皮肉とユーモアにくるんだコメントは、日本人に大きな影響を与えました。
  • これほどまで人々から愛され、尊敬を受けた外国人監督は稀有で、オシム氏はそれだけ日本にとって特別な存在でした。


  • 追悼試合で着用したユニフォームをチャリティーオークションに出品
  • 2022年11月20日、「オシム元監督追悼試合 及び追悼セレモニー」が開催され、オシム氏が指導したジェフユナイテッド市原・千葉と日本代表の教え子たちが集結。
  • 追悼試合ではジェフOBからなる「オシムジェフ・レジェンド」と、オシムジャパンOBからなる「オシムジャパン・レジェンド」が対戦。試合は3-1で「オシムジャパン・レジェンド」が勝利しました。
  • 今回、この試合でレジェンド選手たちが着用したユニフォームをチャリティーオークションとして出品いたします。本オークション及び今回の試合での収益の一部(試合開催経費ほか支出を除く)は、サッカーを志す少年少女選手への還元やオシム氏の指導理念の伝承等に活用いたします。


  • オシム氏への想いが込められたユニフォームデザイン
  • オシムジェフレジェンドは、オシム氏が指揮していた当時の代表的な配色。また、オシムジャパンレジェンドはサッカー日本代表の当時のデザインをイメージするブルーを採用。
  • 共通デザインとして、エンブレムと胸には今追悼試合のロゴを入れ、左袖にはオシム氏がサッカーで関わった国の国旗を配置。背面にはオシム氏の立ち姿をデザイン。さらに背面襟下には、「HVALA SVABO」(ありがとう、ドイツ野郎)とプリント。シュワーボ(ドイツ野郎)という愛称で親しまれたオシム氏への感謝を込めた言葉が刻まれております。
  • そんなオシム氏への想いが込められたデザインのユニフォームに、着用した両チームのレジェンドたちがオシム氏への感謝の想いを込めて直筆サイン入りでお届けします。
  • オシム氏へ、心からの『ありがとう』を込めて…