2021年6月11日にクラブ設立30周年&母体である古河電工サッカー部の創部75周年を迎えたジェフユナイテッド市原・千葉は、これまでの長い歴史を共に歩んできたファン・サポーターをはじめ、ジェフユナイテッド市原・千葉に関わるすべての人たちへ感謝の想いを込めてオークションを開催いたします!!

古河電工サッカー部が誕生した1946年

ジェフユナイテッド市原・千葉のはじまりは、今から75年前の1946年に古河電気工業のサッカー部として誕生したのがはじまりでした。

その古河電工サッカー部は、1960年に実業団チームとして初の天皇杯を制覇し、その5年後の1965年から始まった日本サッカーリーグ(JSL)に初年度から参加し、日本サッカーリーグ(JSL)が閉幕する1992年までの27年間、一度も2部リーグへ降格することがなかった唯一のクラブとして日本サッカー界に大きな影響を与え続けてきました。


日本クラブ初のアジアの頂点に

1986年12月、サウジアラビアのリヤドで開催されたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の前身である、第6回アジア・クラブ選手権で、予選を勝ち抜いた決勝大会では、サウジアラビアのアルヒラル、イラクのアルタラバ、中国の遼寧省の4チームとの総当たり戦で見事3戦全勝を果たして、日本クラブ史上初のアジアタイトルを獲得しました!


1991年にジェフユナイテッド市原が誕生

古河電工サッカー部が築いてきた数多くの歴史を受け継ぎ、1991年にジェフユナイテッド市原が誕生しました。


Jリーグ初年度からオリジナル10として参加

Jリーグが誕生したのは今から28年前の1993年です。そしてこのJリーグが誕生した初年度にJリーグに参加した10クラブのことを「オリジナル10」と呼ばれています。

このオリジナル10に選ばれるには、法人であること、ホームタウンが確立されていること、15,000人以上収容可能なナイター設備付きの球技場が確保されていること、下部組織が運営されていること、プロ契約選手が18人以上であることなど、当時のサッカークラブの大半が企業の傘下だった状況からすると、参加条件のハードルはかなり高いといわれていました。

しかしジェフユナイテッド市原は、ホームタウンの市原市の皆さまをはじめ多くの人たちの支援や支えがあり、見事「オリジナル10」に選ばれることができました。

そしてJリーグ発足当初から今に至るまで、ジェフユナイテッド市原はJリーグの基盤を築き、さまざまな歴史を刻んできました。



Jリーグヤマザキナビスコカップ連覇

2005年の11月5日、国立競技場にて行われたガンバ大阪との2005Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝戦では、延長戦までも連れ込む激闘の末、最後はPK戦を5対4で制して、ジェフユナイテッド市原・千葉にとってJリーグ13年目にして初タイトル獲得となりました!



そして続く2006年の11月3日に国立競技場で行われた、2006Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝戦では、Jリーグクラブ屈指の常勝軍団でもある鹿島アントラーズを2対0で破り、大会連覇という素晴らしい偉業を成し遂げました!

この大会2連覇という偉業を成し遂げた背景には、厳しい闘いを勝ち抜いて自らの力で勝利を手繰り寄せた選手たちや、そのチームを導いたアマル・オシム監督らがひとつになって闘うことができたからです。そして何よりクラブ創設時から多大なる支援、熱い声援を送り続けてくれたファン・サポーターをはじめ、ジェフユナイテッド市原・千葉に関わるすべての人たちの支えがあったからこそ、手にすることができた栄冠でした!!



共に歩んできたこれまでの歴史が刻み込まれた貴重なアイテムをお届け。

古河電工サッカー部誕生から75年目、そしてジェフユナイテッド市原・千葉の誕生から30年目を迎えた2021シーズン。

クラブがここまで長く存続することができ、大きく成長することができたのは紛れもなく、創設時からクラブを支え続けてくれた人たちが居たからです。

必ずしも常に闘ってくれるわけではない、だからこそ支えてくれる全ての人たちの為に、どんな状況下であっても常にクラブや選手ができることを最大限やり尽くしたい。そんな強い想いのもと、今回はこれまでクラブが築いてきた伝統や歴史が刻み込まれた貴重なアイテムに、当時在籍していた選手たちの直筆サインと、これまでの感謝の想いを込めてファン・サポーターの皆さまにお届けいたします!